法相宗大本山。興福寺の前身は山階寺といい、669年に中臣(藤原)鎌足の病気平癒を願って、その夫人である鏡女王が造営したものです。壬申の乱の後、都が飛鳥に戻るとともに飛鳥に移り、地名から厩坂寺となり、710年の平城京遷都にあたり鎌足の子で、朝廷でおおいに力をふるった藤原不比等が現地に移し、興福寺となずけました。後々栄華を極めた藤原一族の氏寺として、繫栄しました。
隣接する春日大社は藤原氏の氏神で神仏融合の時代には興福寺と一体化し、大和の国を領地としていました。室町・鎌倉幕府でも、大和には守護を置かず、興福寺がその任にあたりました。徳川幕府でも、その形は守られていました。
春日大社は767年の創建の時、茨城県の鹿島神宮から武甕槌命(たけみかづちのみこと)を勧請して祭神としましたが、その際、鹿島から鹿に乗ってきたということだそうで、その鹿の子孫が今奈良で親しまれている鹿なのです。大事にされるわけですね。
興福寺は、1998年から、国や県市の補助を得て、史跡興福寺旧境内・史跡等登録記念物保存修理事業を行っています。計画的に寺院全体に及ぶ事業で、現在は、五重塔の保存修理事業中です。
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