法隆寺

見学記
法隆寺中門を望む

聖徳宗総本山法隆寺は聖徳太子が創建した寺。蘇我馬子が物部氏を倒し、日本は仏教を受け入れる方向に大きく舵を切りました。聖徳太子は政治の中心に立つと、冠位十二階、十七条憲法、遣隋使の派遣や国史編纂など、天皇を中心とする集権国家づくりを進めました。聖徳太子から見て蘇我馬子は大叔父にあたる関係でした。聖徳太子の政治は、権勢をふるっていた馬子との二頭政治であったという見方もあります。聖徳太子は斑鳩宮をつくり飛鳥から移り住んでいました。聖徳太子が亡くなり、蘇我馬子が亡くなったのち、太子の子、山背大兄皇子は皇位継承をめぐる確執から、蘇我入鹿に攻められ自害、斑鳩宮は焼け落ちてしまいました。そこで聖徳太子の一族は途絶えます。その斑鳩宮のあったところが夢殿で知られる現在の法隆寺東院あたりだと言われています。夢殿は聖徳太子の千円札の裏の絵、1万円札では透かしになっていました。

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