華厳宗大本山。日本を代表する大伽藍である東大寺は聖武天皇の詔によって建立されました。745年、大仏鋳造に合わせて建設が始まり、752年に大仏開眼法要が行われてからも続き、伽藍が一通り完成するまでには40年近くかかったと言われています。聖武天皇の時代は、長屋王の変、天然痘の流行、九州での藤原広嗣の反乱など、10年以上激変が続きました。聖武天皇はこうした世の中を癒し、国家の安泰と民衆の幸福をはかるには仏教思想による以外にないと考えました。
741年、『金光明最勝王経』と『法華経』に拠って国分寺・国分尼寺建立の詔を出し、743年には、『華厳経』に拠って盧舎那大仏造顕の詔を発しました。東大寺の前身であった金鐘寺は金光明寺と名を変え、大和国の国分寺となり(他の寺という説もあり)、全国の総国分寺と位置付けられました。大仏の鋳造と合わせて整備が進み、造東大寺司という役所ができるなど、国を挙げて整備が進められました。
国の総力を挙げて大仏をつくり、東大寺を整備したことは、大きな意義があった反面、国の財政を悪化させ、租庸調の賦課によって民衆の暮らしも疲弊したそうです。
東大寺は明治以降は華厳宗大本山となっていますが、奈良時代には南都六宗と言われた華厳宗、法相宗、律宗、三論宗、成実宗、倶舎宗の6宗をすべて研究する六宗兼学の寺でした。平安時代になって、天台宗、真言宗が成立してからはこの二宗を加え、八宗兼学の寺でした。
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